海外剣士との交流(International Interaction)


●イギリス(United Kingdom)

 

イギリス剣道との交流

各国と地域の中で、最も長い交流がイギリスです。

 

15年前の厚木剣連「創立50周年記念誌」に掲載されていますので詳細は省きますが、思斉館の初代館長の滝澤光三は厚木生まれの厚木育ち、今から50年以上前、当時警察庁に勤め、1960年にピストル競技監督としてローマオリンピックに参加(日本選手3)、ローマで細々と始まっていた世界の剣道情報に接しています。その2年後に監督としてエジプトのカイロで開催の世界射撃選手権大会に参加(日本選手2位)。大会終了後20日間に亘ってヨーロッパ各国の剣道事情を視察しました。2年後の東京オリンピックのピストル監督(〃3位)を務めたのは今から50年以上前のことです。

1969年、全日本剣道連盟のヨーロッパ世界剣道使節団長として各国を訪問し、海外剣道支援の道を切り開いています。そのころから、指導法の勉強や相談に厚木まで来られた外国剣士は多く、現在でもその時の写真やサインなどが思斉館に残されています。

 中でも、最もヨーロッパで熱心だったのはイギリスで、滝澤光三先生にイギリス連盟の会長の役を頼みこみ、その活動を軌道に乗せています。続いてヨーロッパ剣道連盟の立ち上げにも参画しています。

 私は10数年前に、イギリスから講習会を頼まれましたのは、「滝澤元会長の息子が8段に合格したから講師として呼ぼう」と言うことでした。イギリス各地を3回訪問しましたが、そのころのイギリス剣連会長夫妻が、ロンドンから車で3時間のグラスゴー講習会場までわざわざお出でいただき、『イギリスの剣道が今あるのは、貴方のお父さんのお陰です。良く来て下さった。』と言われたのが印象的です。

 

 その講習会で会いしたのが、今回イギリスメンバーの責任者のポールバッデン7段と松田和世6段(今は7)夫妻です。バッデン7段は滝澤光三先生の教えを受けた長い交流のある先生。松田6段は海老名高校剣道部で活躍、20年前にイギリスに渡り建築士のお仕事の傍ら、二人で剣道指導を続けています。厚木には何度も来ていただいています。

 お二人の道場では、思斉館で稽古をしていた兄弟が、お父さんの転勤でロンドン郊外に引っ越して、片道1時間かけて通って稽古を続けています。また厚木から、ご家族でお二人のもとを訪問して、イギリスの文化に触れながら語学勉強、そして剣道の稽古も楽しみながら、すでに3回訪問してお世話になり素敵な思い出を作っている人も出ています。

 イギリスの剣道人口は横ばいで約1000人、試合の成績は振るいませんが、地道に剣道に取り組み長く続ける人が多いようです。

 このように長い交流が続くイギリスから、お正月の〝初稽古会〟にはバッテン・松田両7段が参加され、これからの新しい交流の、橋渡し役になっていただけることでしょう。

 

 


●アメリカ(USA)

写真は、サンフランシスコからやってこられた池田ファミリー。

 

 

アメリカ・ロスアンジェルスの入江健二先生

 もうかれこれ10年前になるでしょうか、道場の真夏の稽古に剣道具一式を担いで、汗だくになって道場に来られた初老の紳士が、今回アメリカの入江先生でした。お聞きすると、『両親が緑ヶ丘に住んでいたが、亡くなったので近くの福伝寺に墓参りにやってくる、ロスアンジェルスに住む医者で剣道は4段です。こちらに来た時だけ稽古に参加させてほしい』とのこと。私は「歓迎します。ロスには早稲田を出た堀先生がお出でで、学生時代の私の好敵手だったが・・」と話すと、『私の先生は堀先生です!』と言うこともあり意気投合、それから毎夏稽古にお出ででした。

 

 

このところお医者のお仕事がお忙しくお見えになれないのですが、奥様の弟さん(やはりお医者さん)の子供たち3人がサンフランシスコ剣道をしています。夏休みには入江先生のお嬢さんと一緒に道場にやってきて、楽しそうに稽古をしています。



●スペイン(Spain)

スペインの剣道(滝澤記)

 

先にイギリス剣道の紹介をさせていただきましたが、スペインとも長いお付き合いが続いています。

故滝澤光三範士が、全剣連の剣道視察団の一員としヨーロッパ各国を訪問した数年後、スペインから二人の日本人青年が厚木の思斉館にやって来ました。今から35年前のことです。一人はバルセロナの昼間良さんで、神奈川の高校では倉沢照彦先生に剣道を教えてもらった初段です。もう一人は岡山出身の米須和夫さんで2級でした。

思斉館に見えた理由は、「スペイン人に剣道を教えてくれと頼まれて始めたが、どう教えたら良いか分からない。教え方を教えてほしい。」とのこと。少年部の稽古法を勉強してスペインに帰りました。

 その翌年、今のままでは指導に限界があるから、スペインまで指導に来てほしい。でもお金が無いから、滞在中の食事代しか出せませんけれど・・」との申し出があり、滝澤範士から『お金はかかるけれど、君達の良い経験になるから行ってきなさい。』と勧められ、私が団長、学校の先生だった竹村さん、やはり先生だった井上さん、NHKのアナウンサーの古川さんの4人で出発しました。

 今は日本の空から引退したジャンボジェットは、まだ就航して数年目、そのころの性能では一気にヨーロッパまで飛ぶことは出来ず、アラスカのアンカレジまで7時間、それから北極の上を飛んでオランダのアムステルダムまで9時間、そしてマドリッドまで3時間、疲れ切って到着したのを覚えています。

 マドリッドでは稽古会、バスクのビトリアの警察学校で講習会、バルセロナで稽古会、マンレッサでは一日の午前が講習会、午後はオールスペイン大会でした。

大会で印象に残っているのは、剣道着や袴が無いからシャツとズボン、防具も手作り(例えば、胴の厚さは5㎝もあって凄い重さ)の人が沢山いました。腕っ節の強い大男の試合は、丸太で叩き合いをしている感じで、みんな体中をアザだらけにしていました。あまりに凄い剣道で、指導には苦労がありましたが、剣道にかける情熱は熱く、お互い燃えるような気持ちで取り組みました。

 

 これがご縁となり、私は今までに25回ほどの訪問を重ね、スペイン各地で講習会と稽古会をしています。そして毎年多くのスペイン剣士が道場に来て稽古をし、帰国してから習ったことを後輩たちに伝えてくれています。

 あの大会から35年。大会に出ていた人から7段が二人出ています。6段5段の高段者も大勢出て、今では指導者としてスペイン剣道人口1,200人を支えています。

 スペインを訪問すると今でも昼間さんと稽古をし、米須さんは剣道から離れてレストラン"武蔵'を経営されていますので、毎回訪問して思い出話に花を咲かせています。お二人はスペイン剣道の生みの親といって良いでしょう。

 

2005年にスペインチームはスイスで行われたヨーロッパ剣道大会で、昼間良さん(今は6段)の教え子達が大活躍、優勝候補のフランスを破って優勝しました。その時の報告の電話の嬉しかったことは忘れません。一か月後、監督のペドロ・ソレイ氏(奥さんと一緒に厚木に見えます)から、「自分が受け取った優勝メダルはお世話になった思斉館にあるのがふさわしい。」と額に入れて送られてきました。今、道場に飾られています。 



●アルゼンチン(Argentina)

(滝澤建治・記)

 スペインの剣道と、35年以上前からのつながりがあることはご紹介しましたが、10年ほど続いたバルセロナでの講習会には(道場からは私の他に、森山・藤原の両7段が参加)スペイン各地から200人、その他の国から20人ほどが参加しています。イギリスからは、道場にもやってくるバッテン7段・松田7段も参加。他にイタリア・フランス・ドイツ・アイルランド・ベルギー、そしてオーストラリアからの参加もありました。

 

≪アルゼンチン≫

 その講習会に毎回熱心に参加される、Ernest木村さんというスペイン語が上手な小柄な日本人がお出ででした。だんだんと分かったことですが、国籍はアルゼンチン、単身赴任してバルセロナでお仕事をされている日系二世。剣道五段でした。

 親しくなり、話すうち「憧れの日本で稽古をしてみたい」と、厚木にお出でになり二回稽古をされています。稽古の後の食事会で、「両親の故郷の日本に、もう来ることは出来ないと思っていたが、願いが叶って感無量です。」と涙を流され感激されていたのが忘れられません。

その後、お仕事は定年退職され、今はアルゼンチンのブエノスアイレス(スペインからは、飛行機で大西洋を10時間かけて横断。言葉はスペイン語)に帰って、剣道を楽しまれています。剣道人口は500人まで届かないそうですが、日系人が蒔いた種が育って、皆さん楽しく稽古をされているそうです。私がスペインで講習会をするときには、大西洋を渡って参加されます。

 

 余談ですが、バルセロナの講習会には日本領事館の佐藤領事が数回参、神奈川県立生田高校出身で剣道部時代に2段で、スペインの審査で3段に昇段。「昇段の報告」に、2段の取得実績を調べてくれた神奈川県連と、厚木をわざわざ訪問されています。ブエノスアイレス・日本大使館の一等書記官・日本文化センター所長(現在はパナマ駐在)として、日本文化の紹介のお仕事をされています。

 

 


●イタリア(Italy)

≪イタリア≫

 バルセロナの講習会にイタリアからロレンソ・ザゴ7段が、私のアシスタント講師として数回来てくれました。ザゴ先生は大阪体育大学に留学した経験があり、5月の京都演武大会には毎年参加されて顔なじみです。剣道は立派ですが、剣道形も修錬されていますので、バルセリナやマドリッドの講習会ではザゴ先生と、やはり立派な剣道形をされるスペイン・サラゴサのアントニオ・グチェレス7段に、形の模範を示していただいています。

厚木の「選手権大会」では、お二人に日本剣道形を披露していただいたこともあります。。

 

 スペインの講習会にイタリア、ミラノから「禅剣友」という道場の人達が参加してきました。聞くと、「気の合う仲間と禅の心にふれながら、好きな剣道を続けています。」とのこと。頼まれるまま、一度訪問しましたが、勝ち負けには一切こだわらないで、“ゆったりした心で”稽古をされているのが印象的でした。その禅剣友道場の責任者、エンリコ・モナコ5段は道場で稽古をして日本初訪問を感動していました。

 

イタリアは剣道人口が増えて、2500人になっているそうです。ミラノ近郊のスサノ市で第15回世界剣道選手権大会が開催され、イタリア剣道はますます盛んになっています。


●韓国(軍浦)(Gumpo,Korea)  *Friendship City with Atsugi .

厚木市と友好姉妹都市提携しており、思斉館のみならず、町ぐるみで行ったり来たりの友好を深めている都市です。 閔さんの道場とは特に親密な関係となっています。



●韓国(ソウル)(Seoul,Korea)

ソウルからも陳剣斎道場や、ケンキチことKimさん仲間達も定期的に訪問されます。剣道とラーメンと温泉をこよなく愛する仲間たちです。

 



●ブラジル(Brazil)

ブラジルの剣道               

(滝澤建治・記)

 今回のブラジル剣道紹介記事は、地元の「愛川」が関係します。

一昨年、愛川の剣道仲間が電話で、『ブラジルの石橋という先生が8段挑戦で愛川に来ている。稽古にお連れしても良いですか?』という連絡がありました。もちろん快諾、お見えになった石橋先生は、鍛え上げた体から穏やかな気持ちの滲み出る、何とも好感のもてる紳士でした。

 8段挑戦まで、何度も稽古に通われましたが、結果は残念、不合格でした。

『これで諦めません。また挑戦します!』と言い残され帰国されました。

 それから、メールのやり取りが始まりましたが、メールをいただくたびに石橋先生の魅力は増して行きます。それは先生が〝日本人が本来持っていた日本人の良さ〟と言ったらよいでしょうか、今の我々が見逃してしまうようなことに、先生は大事に感じ取ってお出でで、私も日本人として、こうありたいなと思う気持ちになりました。

 そのうち、道場にはブラジルで熱心に初心者の指導を続けるルイス・ギルモン5段を連れて二人で、時差12時間の「地球の反対側から」の稽古に見えるようにさりました。。

 

 ブラジルの剣道人口は、このところ少し減ってしまい、連盟登録会員800名だそうですが、先生からの連絡からは、いろいろと困難な状況が伝わってきます。

(石橋先生のメールから引用です。)

《ギルモンさんが率先して始めたスサノ市役所の援助を受けて始めたグループは、100人近くまでなりましたが、現在続けえいる人は30人です。これは会費が払えない人たちで、連盟加入が難しい人たちです。彼らが使用している防具10組はギルモンさんが寄贈なさったものです。ブラジル最南端のRio Grandeにも100人ほどのグループが出来ましたが、竹刀を買うことも出来ない人が多く、何人残るか心配です。》

 

 お二人以外に、ブラジルの8段の先生をご紹介します。

平成25年秋の昇段審査で、サンパウロ生まれの、海外で剣道を始めた剣士で初の8段に合格された、岸川ロベルト先生です。ブラジル代表として世界大会に5回出場。お父さん弟さんはじめ皆さんが7段をお持ちで、ブラジルに「武士道精神を伝える岸川一家」として有名です。その一族からブラジル始まって以来の8段合格者が出た功績をたたえ、ブラジル教育統合協会から「社会に好影響を与えた人間」に与えられるグランクルス勲章を授けられています。

 

 現在は、ビジネスマンとして香港に住まわれて、香港ナショナルチームのコーチをされています。